軽妙かつ力強い筆跡、土俗的でシンプルな色づかい。人間心理のおかし味を庶民の視点と感性で描き、今もなお新鮮な感動を与えてくれる大津絵。芭蕉の句「大津絵の筆のはじめは何仏」にあるように、その始まりは仏画といわれます。キリスト教禁制の時代には、庶民の一種の免罪符のような役割も担っていたとか。江戸時代には大津領大谷・追分の東海道沿いでお土産物として描き売られ、全国に広まりました。画題も最初は三尊来迎などの仏が中心でしたが、時代と共に様々な図柄が生まれました。明治以降、衰退の兆しにありましたが初代松山をはじめとする絵師達が大津絵を復活。現在の大津絵は、四代目高橋松山師(市無形文化財)と五代目信介氏の手によるもの。今もなお大津絵継承の努力が続いています。
 
 
  江戸中期に刀の下げ緒を草木染めで作ったのが大津組紐のはじまり。膳所藩士が内記台(現在は藤三郎紐で使用されるのみ)を創案し、機械化のはしりとなりました。大津宿では、長旅の疲れを癒した旅人が身繕いするために大津組紐で下げ緒を新調することも多かったといいます。現在では帯締の生産が多く、一方で組紐の美しさを生かしたアクセサリーやインテリアに用いられるクラフト組紐が制作されています。
 
 
 

近江八景の「堅田の落雁」にちなんで名付けられたという説もある落雁。そのとろけるような甘みと食感は、粒子の細かい和三盆や寒梅粉、葛粉等の調和がもたらすもの。文化文政期、時の将軍家斉が無類の落雁好きだったことから全国に広がったといわれます。大津画落雁もこの頃からのもの。今も250年前の意匠をそのまま木型に受け継ぎ、大津画落雁や近江八景落雁等が打ち出されています。

 
  比叡山を代表する荒行「千日回峯行」の際、五穀断ちする阿闍梨がただひとつ食すことを許されるのが蕎麦といいます。比叡山無動寺大乗院には、今も修業時代の親鸞と蕎麦にまつわる伝説が親鸞作といわれる「蕎麦喰い木像」とともに残っています。比叡山の宿坊町・坂本でも、僧侶の修行に欠かせない滋養源として受け継がれてきました。蕎麦粉に山芋などを素材にした素朴な風味が特徴です。
 
  現代に伝わる鮒寿司の起源は古代、稲作技術と共に中国大陸より伝わったといわれます。これが近江に根付いたのは、泥臭さも少ないびわ湖固有のニゴロブナの、肉厚・子の大きさとも鮒寿司に向いていたこと、また近江米が発酵に適した堅さをもっていたことなどが要因とされます。発酵を利用した保存食のため乳酸菌やビタミン各種が豊富で骨まで柔らかいため、近江では病中病後の衰弱や胃腸に効果があるといわれ、昔は近江の各家庭で鮒寿司を漬ける習慣があったそうです。
 
佃煮は昔から重宝されてきた近江の保存食。獲れたての魚を新鮮なうちに、酒・醤油で煮て、魚の旨みを引き立てるのがコツなのだそうです。特に春は冬の荒波にもまれた湖魚の美味しい季節。ひうお・稚鮎木の芽煮をはじめ、すごもろこ、ごり、いさざ、川えび、えび豆、子持ち鯉の甘露煮など、昔ながらの焚きたてを味わえます。
 
  大津の尾花川辺りで蔬菜づくりが盛んであった頃から、取れたてを漬け込み、食卓に欠かせない副菜として伝承されてきた大津の漬物。なかでも長等漬は有名で、近年栽培されることの少なくなった貴重な近江かぶらの粕漬です。昔ながらの技法を踏襲し、日の菜、水菜、大根他、様々な蔬菜を無添加で丁寧に漬け込み旬の味覚を食卓に届けています。
 
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